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2011年8月 5日 (金)

新自由主義について1

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 タクシー運転手の賃金が月15万円程度まで下がって久しいですが、これは規制緩和、自由競争の結果と考えます。これは誰も異論はないでしょうが、規制緩和、自由競争は、不当廉売してもタクシー台数を増加して、賃金切切り下げをして、限界利益を追求することで当初は利益がでますが、これの行き着く先は、生死をかけての過当競争です。資本の論理からすると弱肉強食は当然であり、弱いものは淘汰され強い会社のみが生き残れるというものでしょう。しかし、このようなことが社会全体で行われると合成の誤謬でデフレの一翼をなっていると考えます。

 米100俵の精神から20年、生活は破壊されるだけです。新自由主義といわれる資本の限界利益を最大化して、収奪しつくせば資本を回収して、資本売り払い、さようなら、次の資本の限界利益を最大化する分野に投資することの繰り返しです。資本を回収された所には焼け野原の広大な荒野が広がるだけです。

 年間3万が自殺し、親子兄弟で殺し合い、傷つけあい、管理者はニコット笑って握手した手で、背中から切りつけるような会社が残るだけです。親が死亡しても親の年金にしがみつくような世帯ばかりが増える社会です。このような現在の日本には、収奪しつくし、うまみがないので外国投資家は投資しないのです。

 いまでもマスコミは、生き残りをかけた戦いということを平気で使います。それはまるでスポーツのようです。競争時代、新自由主義の正当性が20年かけて頭に刷り込まれた証左です。多くの人が成果主義が当然と考えるようになったと思いますが、資本を持たない人には
広大な荒野が広がっていることに気がつかないのは創造力が欠けていると思わざるを得ません。本来、中国やベトナムのタクシー運転手と競争する分野を持たない日本のタクシー運転手についても規制緩和すること自体がおかしいと気づくべきです。運賃を認可制しているもかかわらず、より大きな分野での成果を勝ち取るため規制緩和の成果を消費者に見える形にするために生贄にされたともいえると思います。このような泥沼の競争からは、本来の過当競争をさけるために認可制にした趣旨に基づき早急に改善する必要があります。また、運賃全般について早急に見直し、生活できる給与を支払える運賃戻す必要があります。
保険、銀行預金なども自由化の弊害が大きく早急に検討すべきと考えます。

 公正な競争を図るため、不当廉売防止法等など制定しましたが今やあってなきがごとしてです。今は買占めから、経費を大幅にカットして激安でシェアを一気に増やし、限界利益を追求する方向にありますが、これは、従業員にかかる経費を削減して、従業員の生活を切り下げ、他の業者の生活を破壊して、売り上げを強奪するもので近隣窮乏化政策そのもので、到底公正な競争とはいえないものです。

 新自由主義には、自由に競争することが正義であるとしてますが、根本的な欠陥を抱えています。それは、・市場は、誰もが自由にコストゼロで出入りできること、・プレイヤーは合理的に市場から撤退し、不合理に市場にしがみつかないこと、・出入り自由の潤沢な市場が他に存在する、という仮想現実に基づいています。現実社会では生死をかけて会社が倒産するまで激烈な競争が行われます。ゼロサムゲームになるのです。

 新自由主義の規制緩和策とは、大人と子供をハンディなしで戦わせて、公正、適正な戦い方としているものです。大きく、強いものには、パラダイスのような戦い方です。これが革新的アイデアだという訳です。人間・企業本来の誰にも守られず、実力のみで戦い合う。素晴らしい。貴方にも勝つチャンスは、平等に保証されている。むき出しの弱肉強肉こそ、創造的発展の原動力だとしてます。変と思いませんか。戦いの結果は、弱者は無残に踏み潰されていきます。正当な誰にも恥じることのない戦いとします。巨大企業たけが更に加速度的に資本を蓄積していきます。この戦い方に異議を唱える方がでても何ら不思議ではありません。「それでは、命を賭けて戦おうではないか」という方が出ても不思議ではないのです。

 新聞でもテレビでも過酷なドライバーの労働の実態が報道されてますので誰でも知っている衆知の事実です。日本は、このような資本主義の欠陥は自明のこととして、さまざまな仕掛けを法律にくみこんできました。これは、外国にとっては、新自由主義者には合理的でない、きわめて市場参入しにくい仕組みであり、また競争を回避するような仕組みですので資本回収が遅い、またはできないということになるのです。

 日本は米国人をして社会主義の国かといわれたとおり、価格を税率のように定めて、商品のメニュは市場機能を使用して定めるというような方法をとって発展してきたと考えてます。価格で競争するのではなく、メニュで勝負するという方法です。

 これは、競争の結果がでにくく、横並び主義といわれたのですが、資本の本来持っている弱肉強食の過当競争を防止していたと考えてます。しかし、ハゲタカ資本にとっては、まどろっこしくて目の上のたんこぶのようなものだったと思います。前川レポートの提言する誰もが自由に競争できる能力に応じた社会のばら色の夢はやってみれば、ハゲタカ資本の一人勝ち、デフレの世界です。大規模店舗法も小商いを駆逐しましたが、小商いは、少ない国民年金と共存する国民の知恵でした。酒、たばこにより小商いをすることで7万円程度の年金でも共存できたのです。日本はなんでもまじめに精緻に実行するためのっぴきならない世界に足を踏み込んでしまったといえるではないでしょうか。

 さらに言わしてもらえれば、賃金は、能力給と生活給でなりたっていたはずです。福祉事業でもないのに何で社会的コストまで企業が支払うのかというのが、資本の論理です。しかし、これも個々の企業にとっては正解でも合成してみると労働者が生活できない給与では、所謂合成の誤謬となり結局デフレになるのです。自分の足を食べていると同じことです。個々の市場参加者の合理的、最適化行動が、全体としてみれば、更なる厳しい環境を作っているということです。さらに、コストを削減して内部留保を確保して無借金体質にする個々の企業の最適化行動が、全体では合成の誤謬となり、デフレに寄与しているものです。

 外国からの参入者は資本を回収して撤退しますが、土着の企業は、撤退できまず、他国に一部の生産拠点を移すことになります。本来日本の企業は松下産業の社是に代表されるように報国の精神で成り立っていたと考えてます。会社は社会の公器という考え方が日本の会社に対する考え方です。会社の経営者と従業員とは、一家、一族のようなもで、一身同体で、人生をかけるにたるものという考え方が日本的企業の考え方です。それを資本の収奪が終われば、売り払い、解体は、いつでも自由にできるという考え方は、どうしても相容れません。

 競争の平等は、一見もっともですが、これも人間だれもが平等の能力をもっているという仮想現実を前提にしてます。偏差値をもちだすまでもなく、人間の能力は平等ではありません。本来平等な能力を持たない人にハンデをつけず平等に競争させると勝者は、ごくわずかの例外を除いて能力のあるものが勝者になります。これが公正だ、社会正義といっているのが新自由主義です。したがって、能力に応じて100億とろうがまったく問題ない。能力に応じて100万円払うも公正正義だ、能力差によって払ったまで、生活できようができなかろうが、知ったことか、企業は福祉事業でない、というものです。(注)

 この結果は分厚い中間層を破壊するものですから、激安競争に突入しますが、もうけが薄いと思えば、収奪しつくしたと思えば、資本は、解体、売り払いで撤退します。新自由主義は、企業家の論理ではなく金融資本(金ころがし)の論理です。資本を持たない従業員には、過酷な論理です。24時間資本の奴隷となり、わずかの余分な時間スラッグも電算機で管理され、収奪され、しかも従業員は早晩年をとり能力が劣化しますから、あるいはアイデアも枯渇しますから、お払い箱になる運命にあり、資本にとっては天国でも従業員にとっては地獄の論理です。これは亡国の論理です。富が一部のものに偏在して投資先を常に求めているような状態を放置している「特定の国」の特定の階層の資本回収の論理です。

 安倍総理の下で、ブラック企業の合法化である名ばかり幹部候補生に対する残業代ゼロ法案が用意され、全職種に派遣解禁、3年で総入れ替えが実現してます。資本の奴隷として働けとのようです。

 新自由主義の本質は、総取りです。起業して、会社を大きくして、売り払い、金を得て、一人前という思想があります。ここには、ステークホルダーという思想は微塵もありません。買収した者は、不採算部門を解体し、お化粧して、また売り払いでお金を儲けるというものです。松下幸之助、稲盛さんが言うような日本型の企業哲学とは、まったく異なるものです。要するに新自由主義の企業感は、マネーゲーム、博打が本質です。

 この新自由主義が更に悪いことは、資本回収の迅速化、最大化に資する価値以外を無価値とすることです。我々が共同して生活してゆく、人類の知恵を破壊して、金に換算できる価値以外はすべて無価値とすることです。剰え、資本回収の迅速化、最大化に資するものであれば、人類が悪徳としてきたことさえ、許容しますので、人類共有の文化の破壊が著しいことです。

 この現状を変革することは大変なことですが、前川レポートが提言して、小泉改革で実現した新自由主義的なものを払拭する必要があります。金融資本の尻馬に乗って新自由主義を煽った学者、広大な荒野、羅生門のような世界にしてなお、自己責任、規制緩和、自由競争といっている者は、まさに欧米金融資本の広告塔であり、何らかの明確な意図、あるいは亡国の意思をもって宣伝をしているとしか思えません。
 

 このようなことは誰もが薄々体感していることです。明確には言葉にできなくても実感として感じていることです。従って誰かが明確に言葉で先導するとガラポンを求めて極端に右傾化すると思えてなりません。早急に是正すべきと考えます。

 非人間的な仮説をたてて、マクロで間違っている新自由主義をどれだけ精緻に組み上げてもゴミでしかないのです。前川レポートと煽りに煽った学者の皆さん同罪ですよ。分かってますか。

注 フォーリン・アフェアーズ

資本主義の危機と社会保障
              ―― どこに均衡を見いだすか
             
(2013年4月号)
              ジェリー・Z・ミューラー/米カトリック大学歴史学教授
         

 「認識すべきは、現状における格差は、機会の不平等よりも、むしろ、機会を生かす能力、人的資本の違いに派生していることだ。この能力の格差は、生まれもつ人的ポテンシャルの違い、そして人的ポテンシャルを育む家族やコミュニティの違いに根ざしている。このために、格差と不安は今後もなくならないだろう。この帰結から市民を守る方法を見出す一方で、これまで大きな経済的、文化的な恩恵をもたらしてきた資本主義のダイナミズムを維持する方法を見つけなければならない。そうしない限り、格差の増大と経済不安が社会秩序を蝕み、資本主義システム全般に対するポピュリストの反動を生み出すことになりかねない。」

 米国では、この格差をインナーサークルで固定化してますから闘争は先鋭化する筈です。

 闘争の先鋭化を見越して政府機関が武装化してます。民間はゲーテッド・コミュニティーを構築してます。その数2万です。

関連記事 新自由主義について2

 最後まで目を通して頂きありがとうございます。貴方に今日幸運が訪れますように。お祈りします。 鰯の頭も信心から、信じる者は救われると申します。藁人形もかなり力がありますので、きっと効くことは間違いありません。

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