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2011年9月 8日 (木)

黄金の昭和30年代の思いで

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 黄金の昭和30年代の子供時代をスケッチしてみたいと思います。

 北海道の昭和30年代は、子供にとっては、黄金時代でした。 その頃は、今思い出すとどのような印象かというと、不思議と物がなかったというイメージはないのです。今と比べると格段に物がなかった時代ですが、子供のまわりにはいっぱい「もの」がありました。

 おもちゃでは、ブリキのロボット、消防車、自動車、ブリキないし鋳物のウィンチェスター銃、泥の銀色の玉を飛ばす銃、丸い花火で音の出るブリキの拳銃、フラフープ、ポンピング、抱っこちゃん、BB弾パッチビー球、つり道具、ヤスで川魚(カジカ)刺し、眼水作り、駒回し、虫取り網、けん玉、竹とんぼ、シール遊び、おはじき、こっくりさん、パチンコ、ブーメラン、弓、吹き矢、笛づくり、草舟、三角乗りの自転車、竹スキー、雪スケート、竹馬、カルタ、福笑い、凧揚げ、トランプ、花札、百人一首、野球盤、ボートゲーム、グライダー作りゴム飛行機づくり軍艦飛行機プラモデル木製ゴム動力潜水艦作り、ヨット作り、鉱石ラジオ、軍人将棋、幻灯機、万華鏡、ソノシート、10大付録の厚さ15センチもある少年、幼年倶楽部、冒険王。

 まわりにも空き地がいっぱいあり、木の木っ端がいたるところにありました。隠れ家も作りました。野山でターザンごっこ、水切り、セルロイドのお面をかぶって風呂敷マントに棒切れかざして元気に遊びまわってました。

 学校ではスカートめくりドッジボールも流行ってました。女子と遊ぶことはなかった。女子と遊ぶ子は、「女をかまうヤセ男」とひやかされました。女子に関心がなかった訳ではなく、人一倍関心がありました。周りが女子と友達になることを許さない雰囲気がありました。それで、可愛い顔して、勉強ができて、先生にいいつけるなどの女子はチョッカイを出されて被害にあったと思います。

 子供の想像力はたいしたもので、ビニール管の片方を止めて、BB弾を点火して投入しビー玉を装填すると威力の強い鉄砲になりますが、学校から止めろと言われて止めた記憶があります。この前は、銃の先にゴムをつけて、ゴムの威力で二股釘を飛ばしたりしていましたが、今思うとよく目をつぶさなかったと思います。(これはパチンコを進化させて、銃の形にしたもので、ボウガンみたいなものです。)

 野山で春は福寿草とり、秋は、野いちごとり、ぶどう酒つぐり、ぐすべり、きのこ取り、蕗とり、かなづちと釘ですぐおもちゃができました。竹馬然り焚き火で焼き芋駄菓子屋の籤引き、バクダン、紙芝居、飴とり、鬼ごっこ、S海戦、馬跳び、缶蹴り三角ベース、バット、ボールでソフトボールもすぐできました。ただ狭い空き地ですので、近所の窓ガラスを割ることはありました。寝ている赤ちゃんに当たったらどうするのと言われたこともありました。

 テレビもすぐにやってきました。映画館も全盛でした。ヒーローも沢山いました。赤胴鈴乃助、スーパージャイアンツ、ハリマオ、少年ジェット、怪人20面相、力道山、若乃花、千代の山、朝潮、長島、など。映画館では、いいところで正義の見方が登場すると割れんばかりの拍手がおきました。

 今思い出すと現の子供より環境は格段に恵まれていたと思います。冬は元気いっぱいに遊ぶ季節、正月、クリスマスがあり、親戚があつまるのでお小遣いも半端なものでないのです。1人5百円でも10人も集まると5千円になります。(昔は産めよ増やせよの時代で兄弟が7人、8人当たり前の時代です。正月には親の元に皆が集まったのです。)当時の初任給が5千円ぐらいとおもいますのでそれは、それは、豪華なお年玉なのです。

 戸外では大人が校庭にスケート場を作ってくれます。ベビーブームのおかげで新設の小学校をがんがん立てました。新しい学校に最初に入った思い出です。朝から暗くなるまでスケート場で遊んだ思い出です。スキー場も小さな坂ですが、小学生ですから十分です。いたるところに坂がありスキーをしたものです。学校の校庭では、冬はスケート場になります。竹スキーから、雪スケート、スピードスケートとすぐになりました。木の箱に竹スキーを打ち付けて橇も作ってました。要する、まわりに至るところに空き地があり、遊び場になったのです。冒険する場所が沢山ありました。防空壕のなか、神社山とか、川いたるとろにあった。お尻に猿のように擦り切れ防止の布をあてた半ズボンに汚いランニング、坊ちゃん刈、裸足、ゴムの短靴、手には棒切れというイデタチです。 女の子は、おかっぱ、ブラウス、スカートでした。まっくろい顔して、首に垢たけてランニング、半ズボンはいて、冬はセーターの袖口も青っ洟で吹きまくってテカテカにしてました。

 友達の呼称は、「オレ」と「オマエ」です。「ワシ」という人もいた。「ボク」という人もいたが、少くなかった。「ワタシ」は、女子が使用した。歯をみがく習慣はなかったと思います。ゴムの短口をはいてしょっちゅう釘をふんでは泣いてました。ゴムの短靴ではだし野球帽横かぶりスリ傷が絶えないのです。泥の中もジャブジャブ入っていきました。服を汚すなということはなかつたのです。大体子供は汚いものと相場は決まっていたのです。 私は「どぶけんぼ」と呼ばれていて、最長2ケ月風呂にはいらなかったことがあります。転んでも擦りむいても赤チン塗っておしまい。痛いの痛いの飛んでけの世界です。釘を踏み抜いても金槌でたたいておしまいです。彫刻刀で木を彫っていて間違って親指にガッチリ切れ込んでも病院にはいきませんでした。今も跡が残ってます。

 近所の少しだけ年上の子が率いて群れて遊んでました。頭の足りない子も利口な子も群れてあそんでいたのです。子供と大人の世界が完全に分離して大人の話に子供が口を挟むことはまったくありませんでした。今テレビで放映してるニュースは昔は「○○実話」にのっていた話です。小学校の頃から子供が週間実話を読むということはまったくありえなかった。そのような話からは完全に隔離されてました。平凡、明星、講談倶楽部、主婦の友を読んで鼻を膨らませることはありました。

 大体玄関あけて「遊びましょ。」といって約束してないから遊ばないとか言う子供はいなかった。ニッポン、ハメリカ、ニギリス、トレントレンあるいは王、金田、広岡、お前のかあちゃん出べそと大きな声でわめいていたものです。昔の子は、力がありました。セメント袋のような2斗の米袋30キロを米屋から担いで家に持ち帰りました。いま思うとやかましいガキどもと思います。現在でも低開発国の子供が水汲みをしてますが、不便な国の子供は労働力として必要なので、日常生活における鍛錬の結果、総じて力があるのです。

 現在では札付きのワルとなり学校、町内会からマークされてしまい、親はどうして普通にできないのと怒ることでしょう。黄金の30年代なのです。今は、昔のような子供が絶滅したので想像しにくいのですが、雰囲気が少しは分かりましたか。アジア新興国にはまだワルガキはいると思います。アジアの子供たちも元気に遊び回っているかな。

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