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2012年1月20日 (金)

昔、日本でも年末帰省で上野駅が混雑した時があった

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 中国で旧正月の帰省で31億人が移動との報道がされてます。若い人には、想像もできないでしょうが、今から半世紀前には、日本にも帰省で上野駅が大混雑する時代があったのです。

 特に、上野駅から東北に向かう、八甲田、十和田という夜行列車は、大混雑でした。そのこみ具合は、窓から人が出入りしたのです。網棚は、故郷へのお土産の大きな荷物や、バッグで溢れかえり、立錐の隙間もない程でした。トイレにいくのも混雑で人をかき分けて移動するので大変でした。

 石炭列車でしたので、トンネルに入ると煙が列車の隙間から車内にはいり、顔が真っ黒になりました。戦後の買出し列車のように人が満杯ですので、熱くて、女性の化粧も汗でギトギトになってました。

 しばらくすると新聞紙を通路にしいて、ネジリ鉢巻、腹巻、ラクダ色の下着一枚のオジサンの酒盛りが始まるのです。東北へ向かう列車ですので、いか干物の燻製とか、ゆでたまごなど生臭い匂いや、お化粧の匂い、ポマードの匂いが充満します。更に加えて、日本酒を飲み、タバコの煙をプカプカふかすので、車内が紫ががってました。満員電車でガンガンとサービス過剰に暖房を効かすのですから堪りません。

 出稼ぎ帰りの田舎出の人ですので、小声でヒソヒソ話すような風習はなく、暫く休暇の解放感もありガハハと笑い、つよい訛りで大きな声で話すのです。暫くすると赤ちゃんが熱くて泣き出す。お母さんがおっぱいを出して乳を飲ましてあやす。これを一晩中我慢して、帰省するのです。

 夜中過ぎには何百人が一つのトイレを利用するので、トイレの水もなくなり、トイレの汚れも酷いものでした。線路ばらまき型と水洗型が併用があり、バラマキ型の方がトイレが汚れない。バラマキ型は、トイレの下に線路がモロ見えます。この列車は、大体24時間の乗車で5キロは痩せるという代物です。また準急といって各駅停車に毛がはえたようなものですので、恐ろしく遅かった。

 現代の若者は、とても我慢できず、一駅でおりてタクシーがバスに変えると思います。この頃は、まだ昔気質があり、見ず知らず人が凍ったみかんを食べるかと差し出してくれたものです。いまは、そのような行為は、へんな人の類ですが、昔はまだ分け合って食べる風習が残ってました。

 ともあれ、午前2時頃になると疲れて、あちら、こちらで、新聞紙を椅子の下に引いてザコ寝する状態です。青森が近づくにしたがって、徐々に乗客がおり、段々空いてきます。

 デッキに佇んでいると、極くたまに、見ず知らずの男女が解放感からかお互いにギトギトになって煤けた顔をして、苦しい身の上話をして慰める合うこともありました。今の新幹線では、そのような状況設定は不可能です。(説明が難しいのですが、チリ紙で顔を拭うと真っ黒になりました。)

 北海道へ渡る人は、さらに青函連絡線に乗るのですからまだ、一仕事があります。大きな荷物を抱えて階段を上り降りすると、連絡船に乗る頃にはヘトヘトです。一度でも航空機を利用して、多少とも余裕のある方は、二度と夜行列車には乗りません。

 いまでは、考えられない列車ですが、懐かしくもあり、もう体験したくもないような列車でした。庶民はまだ貧しかったのです。年収で30万円程度だったと思います。 

 中国の春節は、昔の日本の帰省と同じと思います。日本が元気だった頃の懐かしい思い出です。

補足

 Always 三丁目の夕日64の予告をしてますが、予告だけで泣ける映画というのも珍しい。余程昭和の黄金期にノスタルジーを感じているだと思います。全学連とか全共闘とか、巨大疑獄事件とか世情騒然なところもあったのですが、いいところも一杯あり、爆進する成長期の庶民の躍動感がたまらなく好きです。

 年老いた今、若い頃を懐かしむ気持ちです。焼け野原の中で鍋、釜をつくるレベルから不撓不屈で立ち上がり、戦後19年にして世界一高い東京タワーを作り上げ、新幹線を通し、アジアで初めて東京オリンピックを開催する高揚した気持ちは、今の人は、とても理解できないと思います。当時世界中から奇跡の成長といわれたのです。世界中の人が不可能と言われたことをやり遂げたのです。その気概は、東日本大震災に際しても79日で東北新幹線を開通させた気概と同じものです。いまでも目標を示して「かかれ」と号令をかければどのようなこともやり遂げる日本人の特有の気質です。

 この頃は正月気分はなくなり、正月飾りをする人も少なくなり、1月3日には、正月気分はどこを探しても見当たりません。昔は、正月幕の内は、正月気分があり、のどかなものでした。寂しい限りです。これを進歩というのか、非正規労働者は、ほぼ最低賃金で、昼もなく、夜もなく、一目につかないところで、年末、正月もなくシフト表で働いてます。

 正規労働者も正月一日から生き残りを賭けて資本のために闘争とは、米国の唱えるグローバリズムが恨めしい。(これを誇張と考える人は、世の中を知らない人です。)人生すべてを資本の奴隷として働いて、その後に何が残るのか、資本の極度な集中、格差社会、家族に捨てられ熟年離婚、無縁社会だとしたらブラックユーモアです。

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