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2012年1月10日 (火)

冬の準備

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冬の準備1
  私の子供の頃は、10月も半ばになるとどこの家庭も一斉に冬の準備をしたものです。まず、一冬に使用する薪(まき)の準備をしたものです。薪の材料となる木を仕入れ、家族総出で薪割をしました。薪とは薪ストーブにくべる燃料のことです。木を燃やすストーブです。石炭ストーブになったのはズット後のことです。大きさ大体30センチぐらいにのこぎりで木を輪切りにします。それを鉈(なた)や斧(おの)や鉞(まさかり)で細かく切り分けます。斧とは、長い柄のついたものです。まさかりとはインディアンの使うトマホークのことです。鉈とは、柄のもっとも短いものです。木を割る威力は、斧、鉞、鉈の順になります。

 まず、木の輪切りを斧で持ちつきの要領で割ります。それを鉞や鉈でさらに細かく切り割れています。最後は大体直径8センチぐらいになるまで切り刻みます。それを30センチぐらいの束にして針金で結わえます。この薪の束を一冬分作るのです。不足していると零下の戸外で薪割りをすることとなります。小学生も手伝いをしました。薪を割るにはコツがあり、要領をつかまないとなかなか割れないものです。節があるとそれにひっかかってなかなか割れないことになります。要領がつかめると木が真っ二つに割れます。当時は小学生も薪をわってました。また束にするのもコツがいるのです。ゆるく束ねるとすく解けるのです。適当に束ねて細めの薪を後から叩き込みの結束力を強めるのです。どの家庭も軒下いっぱいに薪を積み上げたものです。束ねないでそのまま積み上げる家庭もあつたと思います。2列に積み上げると、そこがまたお山のようで遊び場になりました。

 それから、夏の間しまっておいたストーブを今据え付けるのです。大体居間の真ん中にすえつけます。ストーブの下には、厚い木の上にタイルをはったストーブ台をしきました。たいていは煙突の煙で沸かす湯沸し機をつけてました。それから煙突を据え付けるのです。試運転をしてみて煙突の据付が悪いと家の中に煙が漏れて充満します。

 ついでに、薪ストーブについて話します。若い人は、薪ストーブにあたった経験がないとおもいますが、たいてい鉄板でできていました。達磨の形、ひょうたんのような形をしています。前が小さくうしろが大きい。大きいところには、ちょうどお釜が入るようになっている。薪ストーブで何が難しいかというと火をつけるのが難しい。火を熾すには、まず、新聞紙を硬くまるめてストーブにいれ、木の木っ端を入れる。白樺のガンピ(樹皮)がよいが必ずしもあるとは限らない。細く割ったたきぎを新聞紙の上におき、新聞紙にマッチで火をつける。そしておもむろに団扇であおぐ、運が良いと火がおきるが、たきぎが適当なものがない場合は相当に困る。うちのおばあさんはうまくすぐ火をつけれた。年季がはいっているから。小学生の私には、火を熾すのが難しく、煙ばかりででなかなか火をおこせなかった記憶がある。前日からストーブの側に薪をおいて乾燥させていればよいが、それが切れていたりすると、雪の中から掘り起こして湿って氷のついた薪に火をつけるのは至難の技です。

 朝起きて零下15度ぐらいの家で30分も火を熾すことに格闘していたものです。60年位前は北海道では家でも零下10度ぐらいになった。北海道の昔の家では、家の水は必ず凍ったものです。台所の漬物も凍ったものを掘り起こしたのです。思い出しましたか。まさぶき屋根の板塀、一重窓、断熱材なしですから、布団の縁が凍ったものです。

 稚内でも零下25度から30度は当たり前、千歳でも零下25度位になったものです。金属に手がくっつき、まつげが凍り、まぶたを持ち上げるのに力がいるのです。鼻毛も凍りつき、むずかゆくなります。ガラスに霜が何重にも花が咲き、爪で霜が削ぎ落とせるような日は、稚内でもなくなりました。濡れた手で戸外で金属にふれると手の皮がむけるときつく注意されたものです。この頃は、そのような体験をすることがなくなりました。大分あたたかくなったのです。また井戸水でしたので、汲み上げた水を大きなバケツで2階まで汲み上げ、大きな甕に貯めてました。水道が普及する前は、どこの家庭でも甕に水を保管していたのです。朝起きてみると必ず甕の水は凍ってました。それを大きなアルミのひしゃくの柄で叩いて割ったものです。

 火がおきるとブリキのような鉄板ですから、ストーブ゛全体がやけ火鉢のように真っ赤になる。近くに寄れば熱い、離れれば寒いというようなものです。火が熾きてストーブのそばで体がかゆくなりながら、くずぐすしているのは気持ちの良いものでした。たいてい最後は親父に殴られるのがおちでした。懐かしい思い出です。

補足

 煙突から出る煙で、街の雪は煤けて黒かったものです。街の雪も白くなったのは、燃料を灯油に代えてからのことです。北海道では、おつりのくる便所は、凍りつき、真ん中が徐々に盛り上がりせりあがってくるので、ナタで氷を崩してました。その破片が時々顔にかかってきたものでした。今話したのは戦後の話ですから、戦前はモット酷かった。北海道の先人は大変な苦労をして住んでました。

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