« 日本がなければ改革開放は異なっていた | トップページ | 文化包丁を規制する必要がある »

2012年2月25日 (土)

子供の虐待について思うこと

 にほんブログ村 経済ブログへ

 テレビで、新聞でも子供が虐待されて亡くなる事件が報道されてます。その昔、このような事件があったのか思い出してみるとやはりあったのです。しかし、そのような話は週刊実話に載る位で表に出るこはなかったように思います。ですから、この50年位の間に急速に社会が劣化しているとはならないと思います。

 有名なところでは継子いじめがありました。混血虐めがありました。朝鮮人虐めがありました。アイヌ虐めがありました。継子いじめも熱湯のお風呂に子供を沈めて上から蓋をして殺したというような記事も目にした記憶があります。混血虐めもひどいものでした。混血の子で陽気な子が屋台で騒いでいると迷惑と思ったのかオヤジがいきなり、混血の子の腹を殴ったことも覚えています。

    戦前では、天皇陛下のご真影(写真)に敬礼を忘れた生徒は、師範学校出の教師に太い薪で頭の殴られていたのです。殴らないと教師の立場が危うくなります。教師はアカかという訳です。普通の生活がそうですから、アカの摘発をする特高は、アカの臭いのする人間への制裁は、苛烈を極めたのです。真っ裸にして竹刀でなぐり、膣に竹刀を差し込むなど当たり前でした。アカをボコボコ産むんじゃないよという訳です。大阪府庁舎の地下には、特高の牢屋があるとのこと、日本共産党の同胞が血反吐は吐いて主義・主張を守った場所です。(気に食わないのは、特高の連中が神田の古本屋を彷徨き、旧軍関係の書籍を買い求め、犯罪の痕跡を消すために焼却を図っていることです。罪は自分のみが背負うという訳です。厚生労働省も戦争による精神障害者の膨大な供述を廃棄して、戦争犯罪はありませんでしたとする姿勢です。障害者の供述は誰、場所、日時、態様が詳細に述べれてますのでアレば邪魔なのでしょう。焼却しても被害者である中国、東南アジアの方々は詳細に記憶していることを忘れない方が良い。)

 社会の至るところに差別があり、差別も暴力を伴うものでした。しかし、それは報道されませんでした。報道しても、至るところにある話で、あたり前でニュースになり得ないものでした。自分の子供についても暴力は当たり前でした。親の監護権、懲戒権が徹底しており、そのような事はニュースになり得ませんでした。親が子供を厳しく躾けることが当たり前だったのです。

 親も軍隊で厳しく躾けられており、暴力は是認されてました。親がデレキ(火かき棒)が曲がるほど子供を殴ることは日常茶飯事でした。親が酒を飲んでテレビを見ていて、テレビで別の番組を見たいとだだをこねていると湯呑みが飛んできました。あまり聞き分けのない子供は裸にして外に出すこともどこの家庭でもしていたことです。大きくなるときに出来心で家の金をくすねる子供は多いと思いますが、その折檻は、悪い芽を摘み取るために厳しいものであることが絶対に必要です。心に深く刻む必要があるのです。地震、雷、火事、親爺というように親は怖いものと決まっていたのです。

 親が躾けられた帝国陸海軍の暴力は、筆舌に尽くしがたいものでした。陸軍においては、古参兵が新兵を毎日ビンタしていました。海軍においては、精神注入棒で仰向けが出来なほど尻を殴りました。古参の悪賢い兵隊は、太いロープを水に浸して殴ったのです。腰も壊れるほど殴ったのです。これらは、単に自分が昇任に漏れただけで分隊員に八つ当たりしたのです。軍隊においては、四半期の精勤章、年に2回の昇任日は鬼門だったのです。クソッタレ。

 学校においても、先生の機嫌が悪いといい加減に聞いている生徒には、いきなりビンタが飛んでくることは日常的な光景でした。それがトラウマになり学校にいけなくなることはありませんでした。暴力は身近に溢れていたからです。悪いことをすれば叱られる、叩かれる当然の道理だったのです。

 徒弟制度でも暴力は当たり前でした。例えば整備工では、ボヤボヤしていると兄弟子からスパナを投げつけるられることは珍しくなかったのです。板前さんも兄弟子から下駄で頭を殴られることは当たり前でした。水で有名な栗田工業も海軍兵学校出の社長が経営しており、社員に対する鉄拳制裁が当たり前のことがあったのです。学校でも暴力はあたり前でした。中学、高校の上級生が下級生の教室にきて、樫の棒をもって気合を入れるなど当たり前でした。上級生に挨拶しない、無視した下級生は、殴られるのが普通でした。先生も生徒を殴る、ビンタをはるのは当たり前でした。大学の体育会運動部も退部するには、退部金を支払い、暴力に耐えなければ退部できないことが当たり前でした。

 要するに社会に暴力が満ち溢れたのです。戦前になるとさらに暴力は酷くなります。警察署には、捕まえてきた容疑者に垂木を三角に削った棒を挟ませて正座させて取調べをしていたのです。警察官の机の脇に三角棒が立て掛けられていたものです。大抵の人はその棒を見ただけで身がすくんだものです。普通の警察がこの程度ですから、特高警察の凄さは大体想像できると思います。イラクの拷問がすごいなど言ってますが、日本もつい最近まで拷問日常茶飯事だったのです。軍隊の内務班の暴力は、むちゃくちゃでした。市民生活も薪で頭を叩くなど日常茶飯事でした。

 今は、暴力が昔に比べれば極端に少なくなり、それだけ目立つようになりました。社会が劣化したから暴力が増えたのではなく、暴力が少なくなり暴力が目立つようになったというのが真相のように思います。昔と比べて親殺しが多くなった気がします。多分、親爺が怖いという刷り込みがなくなったこと、親孝行という観念がなくなったこと、尊属殺人は重罪で社会から抹殺されるという恐怖感がなくなったこと、食べ物のせいか我慢ができず、自制心がないこと、広告のせいもあり、飲酒を日常的にしていることと関係していると推測してます。案外テレビコマーシャルの飲酒のお誘いが親子殺しに大いに関係しているかもしれません。誰か調べてみてはいかがですか。かなりの相関関係がある筈です。

 ただ、近頃は暴力が少なくなり、肉体的接触がなくなり、手加減を知らないために死に至っているのが真相です。中学で格闘技を取り入れ肉体的接触を多くして手加減を覚えることは子供にとっても先生にとっても有意義なことです。柔道を体育として教えることは、意義のあることなのです。より体の接触のあるレスリングも体育として意義のあることです。

 

« 日本がなければ改革開放は異なっていた | トップページ | 文化包丁を規制する必要がある »

随筆」カテゴリの記事

コメント

昔の子どもは健気だった。貧乏人の子だくさん、夜になると夫婦がすることは決まっていた。昼間の疲れもどこへやら。
我が家も8人姉弟、夫婦和合の結果、お袋の腹は休みなく使われたいた。上の子が2歳半になると次の子が生まれる。
私のように末っ子に近くなると、姉が親代わりをしてくれた。弟を背負って私の手を引いて、遊ぶ暇はなく水汲み、風呂焚き。
お陰で、働くことを厭わない子どもになった。姉弟の団結も強く、弟が虐められると姉が仕返しをする。男にも立ち向かう姉であった。

隣の長女が突然いなくなった。13人の子どもを水飲み百姓は養えなかった。人買いに連れて行かれたという噂が立った。
借金の返済、親族に必要な金銭の用立てなど、女の子は悲しい。売られた先は遊郭。男を遊ばせる色町である。
子ども虐待の最も悲惨なと思うが、家のためなら少女らは泣く泣く売られたのだ。
ある女性作家が、売られた娘の水揚げを小説に書いたのを読んだことがある。大金持ちが少女を手込めにする下りに、同性として耐えられなかった。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/577632/54070865

この記事へのトラックバック一覧です: 子供の虐待について思うこと:

« 日本がなければ改革開放は異なっていた | トップページ | 文化包丁を規制する必要がある »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
フォト
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

ウェブページ