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2012年4月12日 (木)

能力のないものはどうして食べていけばよいのか

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 人生は、椅子取りゲームのような所があります。どのような世の中でも数に限りがありますが、文化的な生活をする椅子はあります。現代の日本はデフレですので、その数は少なくなっていますが、やはりあります。その椅子に座ろうと小さい内から教育に投資をして良い大学に入り、優秀な成績で卒業して、その椅子に座ろうとします。多くの方が、それを望みますから、競争は激烈となります。至極当然の話です。情実でなく、成績で決められる部分があるのですから平等でもあります。

 さて、話はここからです。文化的な生活をする椅子に座れない人が大部分の社会では、「我々は99%だ」、「社会を変革せよ」となる訳です。これも歴史で何度も繰り替えされた、見慣れた光景です。

 昔と違うことは、いまや事務部門にも、製造部門にも電算機が広く浸透し、ロボット化のような合理化も極限まで進められたということです。インターネットが広範に普及して、極端にいうと、意思決定する人と中抜きで、末端の少数精鋭で大企業がなりたつような社会構造になってしまったということです。農業部門でさえ、完全機械化された工場で製造することが可能になってます。

 すると、大部分の人は余剰人員となります。極端に言うとこのような社会になっているのです。極限の合理化の行き着く先として現状があることを知る必要があります。そんなことは知ったことかという人が大部分と思いますが、一度椅子から振り落とされると再びその椅子に座ることは極めて難しくなります。ですからそんなに関係のない話ではないのです。

 近頃は、チェス、将棋、更に囲碁までも人工知能AI(Artificial Intelligenceに負けるようになりました。東大の入学試験も解かせるプロジェクトもあります。こうなると、法務、会計、事務部門はAIに変わられます。管理部門で人は不要になります。新聞記事もAIが下書きしていることを知ってますか。

 一方で、国があり国民を食べさせなければなりません。一方で企業は人がいりません。この解決の仕方を模索している途上にあるということです。この問いに対して政治家も学者も回答を出してません。国の金が回る仕組みを提示できてません。近頃はAIが多くの仕事を奪おうとしてます。

 要するに何をする能力もない普通の人をどのようにして食べさせるかという問題です。一説では、高校程度の教科書を理解できる者は、全体の2割程度と昔から言われてます。高校程度の授業にもついていけない者8割をどうするかという問題です。能力を磨いても結局は無駄です。なぜなら座る椅子が限られているという現実があり、競争を諦めていた人たちを単に競争に参加させたというだけの結果に終わるからです。座る椅子が限られているということは、戦いを80点代から99点代に移行させるだけです。全体として何の解決にもならないのです。

 ワークシェアリングも無力でしょう。どうしたものか。国境を越えて企業活動をしている現在では、一国では解決できない問題となります。

 小商いができる環境を整備することがヒントになるような気がします。試みに総売上高10億円以上の小売を禁止したとすると、小商いが雨後のタケノコのようになることは必定です。これを非効率と呼ぶか、多くの人に食べさす仕掛けと見るかで評価は分かれる筈です。現状の大規模店舗では多くの人を食わせることはできないことは予想どおりハッキリしました。

 いずれにしても効率一辺倒では、多くの人は食わせることはできないということです。ここでも資本の制御が必要になります、新自由主義的なやり方では、多くの人を食わせるこはできないということです。富が一部の者に極端に偏り、租税回避行為により税金も払わない、職場をドンドン奪い、それでは飽き足らず労働を時間買いして、他方であぶれ者にシャンクフードを与えて不満を抑え込むときては、国にも国民にも大多数の人にとって害ばかりです。是正が必要な所以です。

 極端化すれば現実の虚構が暴かれます。すべての業務がAIに代替化された社会では、我々はどうすれば良いのかという問題です。AIから得られる果実は、国民すべてに還元すべきという考え方と、果実は所有者のものという考え方が対立します。昔ながらの所有権絶対ではそのようになります。所有権を有しないその他大勢は飢えて死ねという考え方です。死ねといわれてハイそうですかとなりますか。ここは、昔ながらの富裕層を力で叩き潰すしか方法はないのです。

補足1

 売上高1兆円の企業と10億円の企業1000社があったとします。1兆円の企業が赤字の時は外形標準課税ではありませんから、税収は0となります。一方10億円の企業1000社がすべて赤字になることはありえません。悪くても3分の1の企業からは税収が入ります。国民経済からみると1兆円の企業も、10億1000社も同じです。資本家が単にもっと儲けたいという要望を叶えているだけなのです。生産性をあげるというのはもっと利潤をという意味です。それが国民にとって利益にならず、不具合であれば改めるべきなのです。

  1000社を束るねと利益のつけかえが行われ、税金を支払わなくてもよくなるのです。理論の矛盾を見つける方法として極大化すると矛盾が明らかになります。この世に唯一つの会社しかないと仮定します。すると赤字の時には法人税0となり、企業活動からの税収は全くないことになります。完全ロボット化では雇用も生みません。しかし、国を運営する経費は必要な訳です。一つしかない会社ですから政治家も誰も反対もできません。首のすげ替え自由自在です。大きいことはいいことだとは、会社予算にとって利潤が大きいというだけで国民経済から即ち国民にとっては良くはないのです。

 よく理解できない方のためにもう少し敷衍します。株式時価総額2500兆、年間予算1000兆、年間売上高1500兆、純利益で300兆円のような企業が出現して良いのかという問題です。純利益で日本の国家予算の3倍です。中国のGDPを上回る売上高で世界中の消費者の誰もコントロールできない独占企業体が世の中の役に立つのかという問題です。この企業から買わないという選択はありません。代替企業はないのです。世界中の誰もNoといえない独占企業です。独占企業は貴方に販売しない自由を有しているのです。

 世界の独占企業はさらに肥大化していきます。誰も管制できない企業です。すべての弁護士、公認会計士、政治家、軍人は、この独占企業体に逆らって生きていくことは不可能という社会です。恐ろしくありませんか。このネタでSF小説を書けそうですネ。誰か書いてみませんか。

補足2 

 ラッダイト運動(Luddite movement[1])は、1811年から1817年頃、イギリス中・北部の織物工業地帯に起こった機械破壊運動である。

産業革命にともなう機械使用の普及により、失業のおそれを感じた手工業者・労働者が起こした。産業革命に対する反動とも、後年の労働運動の先駆者ともされる。機械所有の資本家には憎悪の対象であったが、詩人には創作の霊感を与えた。

ノッティンガムのネッド・ラダムまたはネッド・ラッドなる者が靴下製作機を破壊したのが最初という。彼の行為はランカシャーでも模倣され、やがて機械破壊者はラッダイトとして知られるようになる。ウィキペデアからの引用です。

 現在では、ネオ・ラッダイトが唱えられています。

 米クリントン政権の労働長官を努めたロバート・ライシュは自著『勝者の代償』[2]のなかで、IT(情報技術)の恩恵などにより個人が消費者として充実するほどに、逆に生産者・労働者としては不安定になる反比例的な問題点がニューエコノミー型経済には存在すると指摘。頻繁なコスト削減・付加価値付与・技術革新などの連続するニューエコノミー型経済は、所得や雇用機会の格差による少数の勝者と多数の敗者を鮮明化しその二層化と敗者固定化を深め、かつ身分・資産・サービスなどが固定化されたオールドエコノミー型経済社会と異なり、その勝利(雇用機会や所得の確保)を一時的とせず維持するために、個人生活をさらに犠牲にして長時間低賃金の所得デフレ進行を受入れつつ働かねばならない中で、家庭やコミュニティが次第におざなりとなりついにはそれらさえも商業的価値観に基づいて外注化され選択されるようになる…この一連の流れをライシュは『勝者の代償』と呼んだ。

その上で、こうしたニューエコノミーの矛盾に対して、三つの選択肢を提示し、

  1. 社会的副作用を生み出している技術革新や市場経済化を止める(=ネオ・ラッダイト運動)
  2. 現在進行している変化を行くところまで行かせる
  3. 両者のバランスを取る。

ライシュ自身は3.の方向性、バランシング・マッチング努力へ向かうべきとした。
以上は、ウィキペディアからの引用です。ロバート・ライシュさんが、描く現状は、正鵠を得ています。

どうすれば、いいのか誰も答えを用意できません。巨額資本投下による工場ロボット化、IT化の流れを実力で阻止することは、革命でも起こさない限りできない相談です。しかも、全世界で進行するロボット化、IT化を一国の革命で、阻止できないことは明白です。

 人間の労働を如何に評価するかという問題と蓄積された富を如何に再配分するかという問題です。これは、古典的な共産主義の命題そのものです。

 ライシュさんは、オールドエコノミーとニューエコノミーのバランスを取る、すなわち、黙っておけば、一方的に偏る富の蓄積、貧困化の階層分化を究極まで進めて破壊的結末を迎えるよりは、自主的に規制、監督して、政府の力で、貧困層もそこそこ食べていけるようにするというのがお薦めの選択と言ってます。私の提案と大体似ています。

 米国で流行する銃で武装した高い城壁を巡らしたゲーテッド・コミュニテイーが全米2万箇所です。富裕層は、自己責任で富を手放さず、暴動と対峙する方向にむかう積もりのようです。

 売上高1兆円の極めて合理化された会社より、100億程度の会社が100社ある方が国民経済には良いということです。そのほうが多くの国民を食べさせることができるということです。このようなことは、経済学では独占として古典的命題として既に研究し尽されています。それを実践しないだけです。

 規制緩和とは、経済を活性化させ高い成長力を手に入れれるような感じを受けますが、特に手当てしないで既成を緩和すると弱肉強肉となり業界再編が加速し寡占化、独占化が更に進行します。規制緩和とは、もっと儲けさせろ、もっと寡占を、もっと富をということです。その対極に貧困が積み上がることです。その過程では大多数の貧困層の需要によりかかる売上ですから、当然デフレとなります。しかも、悪いことに一面焼け野原にしておいて、利益率が下がるや撤退します。後に残った住民にどうしろと言うのです。このようなことは、当初から予想されていた事態なのです。

 とるべき政策は、大多数の需要者に富を還元する仕組みでなければ持続可能性はありません。早晩上がりになります。この前は、第二次世界大戦でした。

だれか解決する人はいないものか。考えてみませんか。

補足3

 資本主義の欠陥である、搾取、収奪が完了すると富の極端な偏在がおこり、需要側の購買力不足に悩まされ、ブームが終了する形を繰り返してきました。現在起 こっているいるのは、これと似た現象です。

 極端な富の偏在は、購買力を削減し、自分の足を食べているのです。もう少し詳しく言うと、カール・マルクス資本 論「一つの極における富の蓄積は、同時にその対極における貧困の蓄積である。」「すべての現実の恐慌の究極の根拠は、一方では大衆の貧困、他方では生産力の無制限の発展を求める衝動にある。

 これを共産党の志位和夫さんは、次のように言い換えます。「資本は大きな利潤を得るため、どんな制限も乗り越えて生産力を発展させようとする。他方、利潤 を得るためあらゆる手段を使って労働者の搾取を追求する。しかし、貧しい人々が増えれば、企業がつくるモノやサービスが消費されない。過剰生産が生じ、モ ノはあるのに社会全体が苦しむ「恐慌」が起きる。・・・・・このプロセスがいま、発達した資本主義の国々でおきている。」。共産主義の宣伝をしている訳で はありません。BOAを経てUBS銀行上級顧問のジョージ・マグナスさんが、ブルームバーグの論評で現在の危機の本質を知りたければ資本論を読めと言って いるのです。上記の太字の文言に注目せよと言っているのです。(朝日朝刊11.11.23 15面オピニオンから引用)

 別の言葉で米国を例にして述べます。「米国上位0.1%の総資産と下位90%の総資産が同じという現状があります。客観的に見て持続可能性はありません。資本主義の投票券である「お金」が極端 に偏っているのですから、大量生産、大量消費が回わる素地が崩壊しているのです。大量生産、大量消費は、市場を完全に把握できないために常に過剰生産の宿命を背負ってます。なお、規制改革などで大量生産、大量消費を無理に回そうとすると少ないパイを奪い合い耐えざる激安競争でデフレになります。賃金切下げ、過酷な労働に晒され不満を膨らませた99%の労働者を「扇動する政治家」が台頭する素地は、整ってます。」これが、米国大統領選挙でのトランプさんの躍進の原因です。

 要するに、無秩序な生産は限界があ ると言っているのです。国家が市場介入し生産を管理しなければ破綻すると言っているのです。現在では、多国籍企業の時代ですから国家が世界市場に介入し、 生産を管理しなさいと言っているのです。市場には明らかに欠陥があるとも言っているのです。建前として市場万能を信奉する新自由主義は、この点からも害ばかりが目立ちます。(新自由主義の本質は世界警察のない独占乃至寡占状態の市場での全世界的市場操作などの出来レースと企業の解体売り払いなどの強奪です。企業としての帝国主義です。本来違法といわれる行為によるグローバルな企業活動です。)

 対極にある市場を介さない共産主義計画経済が破綻していることは過去の実証から明らかなことは言うまでもありません。進む方向は、修正資本主義か 修正共産主義しか道はないと思います。より人間的な行き方を選ぶならば、一党独裁の官僚主義的弊害が目立つ修正共産主義よりは、修正資本主義の筈です。

補足4

 大学文系学部を削減せよという話が新聞、テレビで聞いたことがあると思います。その意図は何か考えことがありますか。文系学部の先生は、専門分野が政治と関わる部分が多く、政権批判的な意見を述べますから、政権にとっては痛い所をつかれ、それにより、大衆も気付かされるという仕掛けになってます。これを黙らせるには、学部を潰し、大人しい理系、職業学校へ変更させ、また、教員の身分を任期制にして不安定化させると後先考えて意見を述べるだろうという遠望深慮から出たものです。これは、すべてに米国で実践されており、政権に批判的な方は、特殊な例外を除いて終身教授になれません。所謂兵糧攻めです。近頃は予算も文部科学省の匙加減でいかようにもなりますので、学部内部の締め付けも厳しい筈です。我々は99%を骨抜きにする各種の施策が着々と進められています。

ボーダーレスの時代

所得再分配について

ここまで、読むといささか食傷気味と推察致します。ご苦労さまでした。

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コメント

もう働かなくていいどころか働くことが社会の迷惑になる世の中になったのに無理矢理小商いで仕事作って働かせるって本末転倒じゃないの?

順調にニートが増えてるんだからどんどん増やせば解決でしょう

ただ単に生活保護増大、ベーシックインカム導入でいいでしょ

反応があり、うれしく思います。落書きですので、あまり大真面目に考えなくて結構です。どうせ死ぬまで生きる人生ですので、ニートの人にも満足できる、生まれて良かったという人生で多少なりともあってもらいたいものというのが人の人情です。最低限の食料を与えれば、いいんだろうでは、どうしたものか。底辺ニートの人にも意地もあれば、恨みも怒りもあります。その怒りを結集すると社会は簡単にひっくり帰りますヨ。

今自分が悩みの種として漠然と描いていた事がピンポイントに書かれていて参考になりました。

気になる点があります。それは依然として資源は有限だという事です。
つまり合理化の行き着く先は生命倫理の大幅な変化(命の価値の低下)が起きそうで仕方ありません。
機械や計算機が無能な者の代わりになりますから、非効率な人間は大粛清までは至らずとも、積極的安楽死施設の導入までは至るのでは無いか?と思います。
現に安楽死希望なニートや要介護老人等は多く居ますし、その範囲も合理化が突き進むにつれて拡がって行くのでは?とも思います。
その時人は人に対する接し方はどうなって行くと思いますか?全てがコストに過ぎなくなりますか?

 長らく回答できませんでしたが、ハリウッド映画が先見的に描いたように、能力のない人間は、コストとなり、社会のお荷物になる社会がスグそこまで来ています。

 社会のお荷物になる人間が黙っているのかという問題です。しかし、政権・富裕層側は、ITを駆使して、お荷物を逐一監視し、お荷物側の人間が反乱する目は極めて少ないと思います。

 結論としては、先見の明のあるハリウッドの監督が描いた世界がすぐそこまで来ています。共謀罪などは、お荷物側の監視を合法化するものです。

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