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2012年5月 6日 (日)

お客さまの「やめらせろ」は、横暴すぎないか

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 いつの頃からか、お客様の「やめさせろ」が普通になりました。お客としてのプライドが痛く傷つけられた時に言われます。ここ5年位まえから言い出されたため口もその類です。お客様は何様なのといいたくなります。お客様と店員は友達ではありませんが、だからといって普通のお店がそれほどへり下る必要があるものか。外国で日本のような対応を求めたらバカかと言われます。

 お客様は神様ですとは、芸人の三波春夫さんがいいだしました。一流芸能人からお客様に来場を感謝する言葉として言われたものですが、いつの間にかあらゆる部門でも言われるようになりました。市場においては売れなければ敗退しますので、お客様獲得は至上命題です。デフレの現在は更に命題は徹底されてます。お客様を失う位なら、掃いて捨てるほどいる従業員を躊躇することなく切り捨てることが日常的に行われてます。接客業と比較して人を相手にしない工場労働が新鮮な驚きを与える所以です。

 昔からお客様は神様ですといって、お客様のどのようなクレームにも対応していたかというと違います。感覚では、お客様に売ってあげている、あるいは分けてあげているというものでした。ですから、接客もどちらかというと客を選ぶというところがあったのです。

 お金さえあればなんでもいいという考えはなかったのです。お客様のケツを舐めても売るというのは、ゲスのすることでした。このような商売の仕方、女、子供を騙して売るというのは、所謂三国人(中国人、朝鮮人)のすることだったのです。日本人は、このような商売を軽蔑してました。

 それがいつの間にか、皆が三国人になってしまいしまた。要するに何をしても売れればよい、金さえもうけれればなんでもありの世の中になりました。これはあらゆる部門に浸透しています。この結果として商売人の矜持なるものは失われました。仁義なき戦いです。

 こうなると法律に抵触しないギリギリで商売することが当たり前です。労働法も、独占禁止法も、公正取引もあってなきがごとしです。選挙も然り、議員の行動も然り、新自由主義の横暴を言う前に、既に「なんでもありの社会」だったのです。新自由主義が若干この傾向を際立たせましたが、80年代の「窓際族」あたりから傾向は顕著にでていたと思います。

 昔から日本に暮らしている私としては、わずかのミスでお客様のクレームにより退職を余儀なくされている方を見るにつけ、どうにかならないかとも思いますが、もはやどうにもならないのでしょう。流れに逆らわずに生きるしか、生き残る道はないのでしょう。表面が綺麗で、水面下では激烈な戦いが行われている日本株式会社は、外国人が実際の会社を体験して、もう懲り懲りという感想と無縁ではありません。

 「無理をさせて、無理をするなと、無理をいう」本音と建前を巧みに使い分ける日本株式会社の生きにくいところです。すべては「うまくやってくれ」です。帝国海軍の号令「かかれ」と大して変わらないか。

補足

 帝国海軍においては、右も左も分からないポット出の士官が、神様のような下士官に対して「かかれ」と号令をかければ、委細承知、後はうまくやってくれました。個々の戦闘ではよく奮戦したのですが、戦略がだめで敗退したのです。マクロ(戦略)で間違うと、ミクロ(戦術)でいかに効率化を図っても挽回は不可能です。欧米を見習うべきところです。いまもって繰り返しているような気がしてならない。

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