« 没になった提言 | トップページ | 韓国映画をレンタルビデオで見てみた »

2012年9月21日 (金)

支持率1%でもやるは止めてもらいたい

にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村

 日本国の主権者は国民と憲法で定めています。国会は主権者の意思を反映させるための方便です。日本国のリーダーが主権者の意思とまったく乖離してもやるというのは、主権者の意思を無視しても政治をやるということと同じことです。
 これでは主権者はたまりません。陶片追放が必要な所以です。国民が反対しても必要なものはやるというのは、傲慢です。言わば共産党と同一思考になってます。衆愚政治なども同一思考です。すなわち、歴史的使命を持った、覚醒した国民の先導者たるリーダーは、国民を導く責務を負っており、時には国民の意思と乖離することもあるが、先々感謝する筈、一時の反対を押しきってもやる。これが国民を幸福に導くという思い上がりです。このためには、幾多反対を投獄することもやむを得ないと考えます。そもそもおれのような覚醒したリーダーの得た結論に達する頭は、国民はない。むしろバカはバカなりに俺の得た結論の実行に奉仕すべきと考えます。
 それでは憲法違反です。憲法は、投票者としての主権者の総意で国家を運営するとしているのです。偏屈にも、篤志家にも、頭脳明晰な方にも、大学教授にも、政治家にも、大金持ちにも、貧困者にも、生活保護にも、高齢者にも、婦人にも、評論家にも、芸能人にも、アイドルにも、風俗嬢にも、頭取にも、行員にも、坑夫にも、派遣労働者にも、身体障害者にも、ノーベル賞受賞者にも等しく1票を与えますと決めています。これは、どのような考え方に基づいているかというと、日本国総理大臣の命とあなたの命は等価という思想に基づいています。いいか、悪いかは別として論理的帰結としてそうなります。このような思想を愚劣という方もいます。現実的でないという方もいます。平和憲法での世迷い事という方もいますが、総理大臣の1票とあなたの1票が同じ価値を持ちますということは、そうなるのです。忘れないでください。そうすると反対勢力から1票を国会議決に反映させないあらゆる妨害、奸計が企てられます。注視して異議を申し立てなければやりこめられます。それが、皆んなが少しでもいい生活をしようとしている人間社会の性です。
 その総意で国家を運営しましょうといっているのです。国会は単に総意実現の方便にしかすぎません。
 衆愚政治などという方は、この根本を理解してない発言で、自分はバカですと宣言していることと同じです。朝日新聞なども何も疑問に思わずそうだそうだといってますが、理解の浅さに唖然とします。いつでも全体主義に奉仕する媒体になる筈です。こちがバカの見本です。マスゴミ度し難し
 様々の方に1票を保証して総意で国家運営をしましょうということは、必ずしも隆盛する選択ばかりでないのです。衰退する選択も当然予想されているのです。物事には裏表があります。常に隆盛する選択であることは望ましいですが、未来は未定ですのでどの選択が隆盛の選択かは、結果としてわかるだけです。予め隆盛する選択が特定できるならば政治などいりません。不確実性のある未来の選択を国民総意で決めましょうということです。

 衆愚政治といわれる方は、最初に頭の悪い、教育も受けてない大衆は到底正しい結論に達することはできない、私は隆盛に達する正しい結論に達することができるという傲慢があります。そのような不確定な未来について隆盛に達する結論を得る方法は現在ないのです。いかなる方法をもってしてもないと断言できます。にもかかわらず、嘘か本当か分からない私が得た結論に従え、責任はとりませんということです。衆愚政治という方で、俺の得た結論に従え、もし間違った場合は、腹を切るという方は見たことがありません。遠くからバカが吠えていると斜めに構えた方ばかりです。当の本人も未来は見通せる訳ではないのです。ゴタクは並べることができるが、なら腹を切る覚悟で未来を示せというと、そんなことできる訳がないということになります。なら、一方的意見を押し付けるなということです。
 我々の社会科学などたかがしれたものです。時の権力者に奉仕して、糊口をしのいでいるにすぎません。作っては壊し、作っては壊しいつまでたっても新理論が次から次へとできます。過去、現状を説明できますが、未来を説明できません。単に理屈付けできただけで、理屈の付け方も何通りもあり、学派といわれますが、単にそれだけです。特定の見方を一方的に国民に押し付けること事態無理があります。
 共産党の前衛の考え方は、少し違います。共産党の唯一絶対の目的である共産主義社会を実現することは共産党の歴史的使命であり、この目的達成のためには前衛といわれる方が必須と考えます。前衛とは共産主義について覚醒、悟りを開いた人で、前衛以外は考えても正しい結論に達しないと考えます。即ち悟りを開いたというところが大事です。したがって、私的には、悟り、共産党的には、覚醒していない前衛以外の人は、前衛の示す手段に進んで盲目的に献身すべきであると考えます。前衛以外の人は考えることは覚醒、悟りを開いてないが故に、むしろ害悪であると考えるのです。これは、衆愚政治と言う人の考え方と大変似てます。

 我々の憲法で国民が主権者と決めているのは、物事には様々の面があり、裏もあれば、表もある。光もあれば影もある。人によっても物事の見方は変わる。このような中で、国民の総意で決めましょう。いろいろな人が意見を述べて、お互いの立場を理解して、その上で多数決できめましょう。恨みっこなし。ということなのです。不本意でも決めたら、それに従いましょうということです。人を説得することは大変なことです。奥さんだけでも説得することは無理かもしれません。それでも決めなければならない時に、人類の知恵として、説得できないものを解決する技術が多数決です。恨みっこなしが多数決を支える大切な思想となってます。

 国会は、主権者の総意を表現する方便にしか過ぎません。技術的に可能であれば、直接投票が一番理にかなっていることになります。法律に細工をして騙すというのは、技術的な問題です。法律の細部まで分からないでどうして直接投票できるのかという方への反論は、国会で議論をしていただくと不具合は大抵見えますし、ネットでも悪い企みは、たちまち拡散しています。しかし、今はなすすべなく見守るだけです。国会が国民の総意とあまりに乖離しています。

 例えば、原発問題などは、当然国民投票にかけて議論の方法を決めるべき問題です。現在は、国会議員の、与党の専横が目立ち過ぎます。自民党小泉が提出可決した派遣法にみるように、一度決めると廃止は極めて困難になります。現在は、主権者である国民を無視して、物事が決められています。現在、我々が有する唯一の権利行使手段は、投票です。よって、支持率1%でもやるなどと党首が言う民主党国会議員は、一人として通してはならない。ゴタクは並べることはできるが民主主義が基本的に分かってないのです。あらゆるところで強権的なオツムが暴露されてます。

関連記事 民主主義とは、茹で蛙も厭わないということ

補足1

 いかに偽装しても、民主党は、街頭で握手を拒否される、演説などできる筈がない、国民の怒りは凄く超弩級台風の中を進んでいるようなものです。再三指摘してきました。それを図らずも総理自ら街頭演説して演説などだれも聞かない、聞こえるのは野次ばかりという実状を晒しました。これは自民党のやらせだけではないのです。車を降りて辻立ちして国民に訴えてごらんなさい。完全に無視と握手拒否と罵声ばかりな筈です。これは、昨年の菅さんから続いている大きな流れです。いかに偽装しようとも、私の分析は間違いないのです。聞けば70選挙区立候補者を立てることもできないとのこと。負ける戦いを大金を叩いてするバカはいません。道理です。

補足2

 世代間に争いがあり、高齢者など特定世代の数が圧倒的に多くて、特定世代既得権益を切り崩せず、放置しておくと国家が沈没するかもしれないが、特定世代は国家沈没時には死亡しており、後は野となれ山となれ、逃げ切りを図っている時に、なお多数決は意味を持つか。多数決は、このような前提をそもそも仮定していなかった。いわば善人説に立っているのです。国家の構成員である国民は、国家繁栄を願っているという前提に立っているので、国家的規模で国にたかり、まもなく死ぬので後は野となれ、山となれ、逃げ切ればよいとは、人類の種の保存本能を否定しているもので想定していない。

 このようなケースには、性悪説に立った全体主義独裁政治が妥当性を持つかも。あるいは、特定勢力の多数決の意見を反映しにくくする選挙権の範囲を更に広げる、或いは、高齢者の選挙権を何らかの工夫により制限するような措置が望まれます。家制度を崩壊させた現在では、精神面から民族の永続性を訴えてもかなり難しいと思います。土台子孫に美田を残すという思想は、雲散霧消しました。要するに工夫で乗り切るか、それともシステム自体を変更するかという問題に突き当たります。民主主義の根本は闘争の解決方法ですから、解決不能の場合は、根本に戻るのが一般的のようです。

補足3

 民主主義の多数決は、すべての社会の成員に1票を保証します。弱いか、強いかは考慮しません。極端な話、体力の弱い、蚊のような人も団結すれば、ライオンのような獰猛で、残忍な人にも等しくわずか1票で満足すれといっているのです。

 多数決1対99で、もし戦闘になればすべての99票を叩き潰せるのにです。この例からもわかるように極めて危うい土台に多数決は乗ってます。99票は、必要であれば、1票を叩き潰すことができなければ、多数決は常に危ういのです。

 それゆえ、多数決派は、少数派を必要であれば叩き潰すという決死の覚悟が常に必要です。もし、多数派が少数派を力でねじ伏せる権力を有しない場合は、常に決定は覆る不安定の中にあります。これは、人間の道理です。多数決は、闘争回避の一手段にしか過ぎません。常に武力闘争に回帰する宿命を有します。

« 没になった提言 | トップページ | 韓国映画をレンタルビデオで見てみた »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/577632/55712869

この記事へのトラックバック一覧です: 支持率1%でもやるは止めてもらいたい:

« 没になった提言 | トップページ | 韓国映画をレンタルビデオで見てみた »

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
フォト
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

ウェブページ