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2014年6月21日 (土)

どうして我々は臭いに敏感になったのか

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 昭和30年代を思い出してみると、今のように臭いに敏感な人はいませんでした。

 普通は、借家などは、玄関近くにトイレがあり、汲み取り式ですので、夏場は、アンモニアで目が痛くなる代物でした。当然トイレの臭いもありました。

 汲み取り式トイレはおつりがくる代物です。便器の中を覗いてみると、白い蛆虫が沸いてます。これが金蝿になって飛ぶのです。そこで、ヨミギなどを入れて蛆虫除去にしてましたが気持ち程度の効果しかありません。

 落とし紙は、大抵は新聞紙を切って、代用していたものです。新聞紙を手でもんで柔らかくしてお尻を拭くと痛いし所々破けたりしているので不衛生ですが、これが普通でした。新聞紙を溶かして作った落とし紙もありましたが、ゴワゴワしてお尻を拭くと痛い代物でした。

 トイレを出たところに、手洗い、手水があり、チョロチョロと落ちる水で手荒いですから気持ち程度です。それで世の中には、回虫が沢山いました。

 家は、密閉式と違い、大体開け放してました。外から丸見えです。家の家財道具も少ないものでした。レースのカーテンなどをしているのは富裕の方と相場は決まっていたのです。

 音も五月蝿かった。窓を開け放してますので、近所の子供の遊び声、笑い声、どなり声などガンガン入ってきました。大きなハエもぶんぶんとちゃぶ台の回りを飛び回ってました。蝿取り紙がどこの家庭にも吊るしてありました。ちんドン屋がガチャガチャ流して、夫婦喧嘩の声がして、どこも騒がしかった。

 ですから、服を着替える時には、屏風を立てて、屏風に隠れて着替えをしたものです。女の人も、着物に着替える時には、屏風の中で着替えていたものです。

 年寄り、中年のおじさんなどは、ヤニで歯が黄色い方もいました。歯磨の習慣がないので、自然とヤニが歯に定着するのです。しかも口臭消しに仁丹を噛んだりするのですから最悪です。

 大体中年のスタイルは腹巻に鉢巻、咥えタバコと決まってました。背広姿のお兄さんは、市役所職員、銀行行員、大きな会社の会社員などで月給取といって限られた方だけでした。

 子供は、ゴムの短靴に素足で、水たまりに入りますので真っ黒な足で家に入ってきます。絨毯、カーペットなどの洒落たものはありません。畳が汚れるというので、ビニールレーザーの敷物を敷くことが流行りました。

 年に二回程度春と秋の大掃除で、畳をはいで、外で天日干しをして、DDTを撒いてダニ掃除をしてました。家に家財道具がありませんから、今思うほど大変ではありませんが、ほぼ一日掛かりの仕事でした。

 鼠もよく出ました。ねずみ取り器なるものがどこの家にもあり、夜仕掛けては朝取れたといっては大騒ぎしてました。イベントみたいなものです。またゴキブリもよくでました。

 下水が完備してないので、道路脇に簡単な下水があり、板で塞いでました。ドブ板通りなどは、その名残りです。下水は川に垂れ流しと相場はきまっていたのです。

 ガスなど洒落たものはありませんので、煮炊きは炭か、カマドです。サンマなどは、焼くと煙が出ますので、玄関先で七輪で焼いてました。ですから、昔の台所は煙に燻されて黒かったのです。

 風呂は内風呂などは、殿様でもないとありませんので、普通は銭湯です。毎日入るものではありませんので、一週間に一回程度しか入りませんでした。家族皆でいくものですから出費がバカにならないのです。銭湯にいくと二三分ででるようなものではありません。元手がかかっているのですから、垢をうるかして、念入りにゴシゴシと垢をするのです。大体一時間は楽に掛かる作業でした。一週間に一回程度ですから、その間皆んな相当臭かった筈です。男性の枕も普通は長年の頭の皮脂で茶色く変色しているのが普通でした。

 タライに水を張り、夏場庭先で行水をすることともあったのです。あるいはドラム缶で風呂の代用もあったのです。

 洗濯機など便利なものはありませんので、手洗いです。下着も毎日交換するなど誰もしませんでした。下着、パンツなど二三日着るなど当たり前でした。

 家の中でも普通にタバコを吸ってました。外にでると舗装はされてないデコボコの道路で所々に水たまりがあり、馬糞、犬のクソが普通に転がってました。よく、犬のクソ、人のクソを踏みました。普通に道路の脇で子供は大便をしてました。晴れた日は、砂埃、雨が降るとぬかるみ、雨上がりは車が泥水を跳ね飛ばしていました。車がぬかるみにはまり近所の方総出で押していることも珍しくありませんでした。

  家の回りには、街でも畑があり、し尿槽からししゃくで組み上げて人糞を畑に撒いてました。また、家計の足しにと鶏、山羊、豚を飼う家も多かったのです。

 庭先で落ち葉を燃やして焼き芋を焼くことは楽しみの一つでした。街で落ち葉を燃やすのですから、隣には煙がいきますが、誰も文句を言う人はいませんでした。

   昔から定時にゴミ収集車が巡回してゴミを回収していたものではありません。昔は、空き地に穴を掘ってゴミを捨てていたのです。当然蓋はありません。ですから、ゴミ穴の回りには銀蠅がブンブン飛んでいたのです。いつまでたっても誰もどかすようなものではありません。それが当たり前だったのです。残りのゴミは、庭でゴミを燃やしたのです。今のように燃えないゴミを大量に排出することはありませんでした。石油から作る製品は、そんなにありませんでした。

 駅にも痰壷があり、たんを普通に吐いてました。映画館ではポマードをベッタリ塗ったお兄さんばかり頭が臭い、館内は紫煙で一杯でした。そして娯楽に飢えていたので満員です。女性の白粉も安物ですので臭いのです。人いきれと臭いと煙ですから、それは大変です。

 夜行列車などに乗ると、イカの干物の臭い、タバコの臭い、酒の臭い、熱い、満員人いきれ足の臭い、腋臭で顔は脂でギトギトで窓から煙が入ってきて最悪です。押すな押すなで一晩で体重が五キロも減るという代物です。

 よく東南アジアを旅行して、日本に帰ってから旅行カバンをあけると東南アジアの臭いがすると言われますが、そのとおりで新興国には喧騒と独特の臭いがあります。日本も昔そうだったのです。しかし、当時でも外国人の臭いはすぐに嗅ぎ分けれたものです。日本人と違った臭いがしたものです。逆に進駐軍の方も日本人に自分達と違った臭いを感じていた筈です。

 それが戦後69年が経過して、世の中様変わりです。いまや無菌、無臭、無音を求める方が溢れてます。タバコの臭いでめまい、吐き気がする方もいるようです人間が変化したということです。人間の感覚が変化したのです。このような感覚を有する方を養うには、相当な環境が必要です。回りの方も相当に気を使う必要があります。劣悪な環境においては、存在できないということは、人間にとって良いことなのか、悪いことなのか。

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コメント

もし、匂いがなかったら?いや、匂いを感じなかったら、この世に生物はいなかったでしょう。
身近な生物ハエは、匂いに引き寄せられ食べものにありつけます。また、雄のハエは雌のハエの放つ匂いに引き寄せられ、メスに近づきます。推測ですが、メス特有の匂いに触発されて交尾をするのでは。
人も同じではないでしょうか。

「女性の”匂い”は、男性に触らせる確率を上げる隠れた魅力アピールの一つです」。と言われてます。

女性の”いい匂い”に私は弱いのです。何度かクラっとしたことがあります。

好きな女性の匂いは、私の媚薬でした。高校生の時、好きな女性とデートしました。なぜか人の居ない方へ2人は行きました。私の胸は高鳴り女性を抱きました。彼女も私にしがみつき、抱き合いを拒みませんでした。どちらからともなく服を脱ぎ、肌と肌を合わせ、彼女の匂いに惹かれながら最後の一線を越えました。それは麦畑でした。

異性の匂い、特に性器の匂いは、互いに引き合うように思います。

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