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2017年2月23日 (木)

60年前の北海道の家

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 終戦直後の北海道の家は、まさ葺き、板壁の家が大部分でした。大部分が小さな平屋の小屋です。

 本州のように、瓦葺きにすると雪の重さも加わり家が倒壊するので、瓦屋根にする家はほとんどありませんでした。また、トタン葺きにする家も高価でほとんどありません。

 マサと言っても現在では見たこともないでしょうが、木材を厚さ3ミリ位に削った薄板のことです。これを瓦の代りに屋根に打ち付けるものです。10年程度で葺替えが必要になります。

 壁は、板壁でした。板の縁が重なるように打ち付けて壁にしたものです。断熱材などという洒落た物は入っていません。

 窓は薄い板ガラスの格子戸でした。玄関には、土間がありました。玄関施錠といってもジョッピンをかけるような粗末なものです。

 家の大きさは、今から考えると驚くほど、小さなものでした。バラックと言ってもよいような家が大部分だったのです。

 構造は、玄関、トイレ、居間兼食堂、寝室、押入れ、物置というような簡素なものです。

 居間は畳敷で、よごれ帽子でビニールなどを敷いていた。

 暖房器具は、薪ストーブです。ストーブを直接畳の上に置けませんからストーブ敷きが必要になります。ストーブ敷きとは、コンクリートの上にタイルを敷き詰めたものです。回りを木材が囲ったものです。この上に薪ストーブを載せて、燃やすのです。

 普通は、暖房を無駄にしないために、真鍮でできた湯沸かしをつけます。煙突の熱で湯沸かしを温めるものです。またストーブは、お釜がピッタリ入るようになってます。上から見るとダルマの形をしており、奥がお釜を入れる場所で手前でみそ汁を暖めます。

 おやじがラクダ色の厚手のシャツ、股引をはいて、腹巻をして、頭に手ぬぐいで鉢巻まいて、ストーブの一番前に座るのが定位置でした。顔は日焼けしてゴツくヒゲもじゃです。毎日ヒゲを剃るなどは、学校の先生、公務員など月給取りのすることです。

 冬は丹前といって、着物に綿を入れた暖かい和服があり、それを羽織る感じです。そしてスルメをストーブで焼いて肴に日本酒を飲むのが定番です。大体オヤジは気性が荒く怖いと相場は決まってました。どこの家にもタバコ盆があって、キセルでタバコを吸ってました。このキセルやデレキ(ストーブの火掻き棒)、火箸で頭をよく殴られました。皆んな戦争帰りですから怖いのです。

 居間と言っても8畳程度ですから、ストーブ敷き、湯沸かしを置くと部屋は随分と狭くなります。ですから、5月頃にストーブを外すとあずましく(セイセイする)感じたものです。

 4月にストーブを外す家はありません。5月中旬に花見の季節ですので、大体5月頃にストーブを外します。すると北海道のことですから、寒い日もありますがストーブがないのです。いつも5月は寒い、寒いと言っていた記憶があります。その内に6月になりやっと暖かくなりホッとする季節になり、7月25日頃が盛夏で、ここから2週間が夏です。この2週間を外すと夏遊びはできません。8月15日は、寒くて川泳ぎもできなくなります。お祭りの9月初旬は朝晩冷えこみます。もう秋です。

 昔の家には、家具と言ってもタンスと丸い卓袱台と衣紋掛とラジオと座机がある程度でした。電灯は、60Wの白熱球に傘がかけたものでした。

 ですから夜は、家の中は暗かったです。北海道は上下水道が遅れてましたので、井戸水で台所には、茶色の大きな甕(かめ)が置いてありました。家族皆が一つの柄杓で水を飲んでました。コップに注ぎ直すようなバカなことはしません

 いまは、一つ皿から食べることさえ、汚いという世の中ですから、卒倒するような事態です。

 冬には、ストーブですが、ストーブがトタンですので、薪が燃え出すと直ぐに真っ赤になりました。ストーブの薪は外に出してますので、湿ってますので、ストーブの側において乾かしました。

 しかし、太い薪に新聞紙で火をつけるのはコツがいります。中々火はつかないものです。

 白樺などの木の皮でもあれば、火は熾きやすいのですが、いつもいつもあるものではありません。

 薪ストーブが燃えている内は、家は暖かいのですが、寝る段になり、ストーブの火を消すとたちまち家は寒くなります。

 押入れが冷えてますので、布団を敷くと表面は氷のよいに冷たいものです。我慢していると布団も暖かくなり寝れます。布団は重さが大切で重くないと寒くて寝れません。

 朝方になり、起きると家は、零下4度、5度と下がってます。布団の縁は、水分が凍結して凍ってます。吹雪などがあると、窓ガラスの縁に細かい雪が入り込み積もってます。窓ガラスは、凍結して花が咲いたように凍りついてます。

 台所の水甕は、氷ついてます。柄杓で氷を叩き割り、水を汲みます。

 零下4度、5度の中で、グズグスしていると手がかじかみますので、素早くストーブに火をつけなければにりませんが、これが中々難しい。

 松などを燃やしていると松脂が煤となり、煙突が詰まり、燃えにくくなります。

 冬の寒い日でも、井戸の水をバケツで水甕に貯めるのは子供の仕事でした。

 今は誰も、そのような昔のことは覚えていませんが、昔の北海道の冬は中々大変だったのです。

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